創業100年、善光寺のお膝元長野県長野市で「麺」を製造販売している生麺専門店です。

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酒井製麺コラム

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粉まみれの製麺屋ではなく
サラリーマンに憧れていました
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私は幼い頃から音楽が好きで、小学生の時、ピアノが習いたかったのですが父親が「ピアノは女がするのもだ」と習わせてもらえず、家には妹のピアノがあったので独学でピアノ弾いていた子供でした。

初めて一人で買いに行ったレコードはジュリーの「勝手にしやがれ」小学2年の時でした。ジュリーのマネをして帽子を投げてました。

小さい頃から「おまえは後を継ぐんだ」と言われ続けて大きくなりました。しかし、私は製麺屋にはなりたくなかったのです。
朝は早いし、一日中粉まみれだし、そんな地味な仕事ではなくスーツを着てバリバリと働いている華やかなサラリーマンに憧れていました。

サラリーマンになったけど
価格が安い高い、売れるモノ売れないモノ
そういう商売しかできなかった
「創り手の想い」に気がついた時、転機が。

 
親の反対を押し切り、食品の問屋に入社をし、サラリーマン生活をスタートしました。
 
問屋なので数千種類の商品を扱い百貨店やスーパーなどに商品を供給し、売り場の提案や売り方の提案の仕事をしていました。
 
仕事に慣れてくると私は商品ひとつ一つが売り場を構成するための
パーツというかアイテムにしか思えないそんな麻痺状態になっていました。
 
今の食品業界は新商品発売のサイクルがとても早いく
販売状況によっては発売から一週間しか経っていないのに売り場から外されてしまうこともあります。いくらいい商品でも育てるという事はせず、バッサリと商品生命を絶たれてしますのです。
そのような事も当たり前の事と思っていた。
 
ある時、地元の中小企業の社長さんと商談が始まると一言目に
「酒井さんは商品の創り手の想いを考えたことありますか?」と強い口調で言い始めました。
始めは何を言い出すのか?という感じだったのですがだんだんと子供の頃見ていた親の姿と重なってきてハンマーで頭を叩かれるような衝撃が走りました。
 
価格が高い安い、売れるモノ売れないモノそういう商売しかできなくなっていた自分がいました。
 
「このような商売をあと何十年もやっていくのか?」自分の将来に不安を感じました。
 
ちょうどその頃、私生活では長男が生まれました。
残業が当たり前になっていた仕事で帰宅も御前さまという生活をしていたので
長男と触れ合う時間がほとんど無く、恥ずかしい話ですが、
赤ちゃんの頃、一緒にお風呂に入ったの片手で数える程しかありませんでした。
 
そんな事も重なり
「自分の人生はこれでいいのか?」
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「自分は何の為に働いているのか?」
というモヤモヤした気持ちで日々の仕事をこなしていました。
 
そして入社して7年、30歳になろうとした時に転機が訪れます。
 
上司が「おまえはこの会社に骨を埋めるつもりでいるか?」と話し始めました。会社としては私は家業があり、いずれ辞めていく人材だと思われていたようです。
「この会社でやっていくのか、家業に入るのかここではっきりさせて欲しい」という選択を迫られました。
 
数年前にこの選択を問われれば即答で「会社で生きていきます!」と答えましたが上記の想いがあったので少し時間をいただき真剣にこれからの事を考えました。妻とも真剣に話合いました。
家業の製麺業という仕事も改めて見つめ直し、そうして自分の中で想いが固まりました。

「仕入れて売る仕事ではなく、モノを自分で創って売る仕事がしたい」
そして30歳になった時に家業である製麺業の道に入りました。


今の納価より下げてくれたらかんがえるよ!
結局価格か。。。
そうじゃない、酒井製麺の強みは何?

 
しかし、家業ではありましたが今まで麺をつくったことが無く全く一からの始まりでした。
 
初めの一年は技術と知識を身につけることに集中しました。
そしてだんだんと麺について語れるようにもなり新しい得意先を開拓する仕事も任されるようになりました。いわゆる飛込み営業です。
 
お取引のないお店に
「弊社の麺を使ってみてください!」
「御社のスープ・つゆにあった麺を開発致します!」
「小さな会社なのでフットワークいいですよ!」
と何十軒も訪問しました。
 
しかし返ってくるのは「今の製麺屋で満足しているからいいや!」という言葉でした。
 
だんだん分かってきたのが業務用関連というのは一度決まるとよほどの事がないと変えないんだという事、取引を始める時にその店のスープやつゆにあった麺の試作を繰り返したいわば共同開発した麺を使っているのでその関係に入り込むというのは至難の業な理由です。
 
営業は断られてからからが営業(笑)
「そうは言わずサンプルだけも試してみていただけませんか?」
 
そうすると決まって返ってくるのが
「今の納品価格より下げてくれたら考えるよ!」という言葉でした。
 
結局、価格か。。。
これじゃサラリーマン時代と同じじゃないか!
この業界も最終的には価格か〜!
また価格が高い安い、そういう商売しなくてはいけないのか?
こんなはずではなかったのに。。。

私は家業に入ってから中小企業家同友会という勉強会に参加しています。
いい会社、いい経営者になるためにはということを学んでいるのですが、その会の先輩たちにこの現状を話し助言を得ました。すると、「酒井さんの会社の強みは何ですか?」困りました。。。モゴモゴして何も答えられませんでした。「自分の会社の強みが分からなくてどうして営業ができるの?」と言っていただけました。

原因がハッキリしました、これだったのです。私は原因をすべて外的要因にすり替えていたのです。
この時思いました、サラリーマンの時も同じことで悩み、原因を外に向けていたけどそうじゃなかったんだ。結局はその勤めていた会社の強みを分かっていなくてただただ営業していたのであのような状況になったのだと。

 
 
強み・特徴は何?
もんもんと考える日が続きました
 
オリジナル麺をつくるというのは製麺屋としては当たり前
ウチの売りは何?
ウチにしかない強み・特徴とは?
いわゆる差別化できる独自性のある商品が欲しい、いや必要なんだと思いました。
 
しかし考えたからといって直ぐに出てくるものモノではなく
何かないか?何かないか?
でも何から手をつければいいのか?
悶々と何年もそれについて考えていました。
 
悶々としているなかで様々な例会やセミナーに参加し続けました。
何か発想のキッカケになるものがないかという気持ちで食品に関係無い内容であってもとにかく出ていました。

なんとなくキーワードが見えてきた?
産学官連携との出会い
 
ある時期から私の中で産学官連携というキーワードがすごく引っ掛かってくるようになってきました。
小さな会社が大学と一緒に何かできるってスゴくないですか!
中小企業が大学と一緒に商品開発をするという事にとても魅力を感じるようになりました。
私の会社は小さな企業ですので研究室などありません。
そんな企業がいきなり大学の研究室と共同開発できる、とてもスゴイ事ができるんではないか?ただただワクワクしました。
 
しかし、産学官連携についていろいろなセミナー等に参加しても過去の事例が工業系の内容が多く、全く自分の仕事とどう連携できるのかということがイメージできませんでした。
でも何とかならないかとアンテナを張り続けました。
 
ある朝、信濃毎日新聞を読んでいると経済面に
「体に優しい食品部会参加者募集」という記事を見つけました。
信大工学部と長野県工業技術総合センターと長野県内の食品メーカーが集まり  
新しい食品づくりを創造していくという内容が書かれていました。
 
2年目に入った時に会の中でいくつかの研究会が発足されました。
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私はその中の「栗の未利用資源活用研究会」にビッときました。
信州の小布施老舗栗菓子店が栗の加工時に残渣して出る栗の剥き柄から渋皮を取り出し、エキスとして抽出してそれを活用した商品開発をするといった内容でした。新原料・エコ・産学官連携・信州有名観光地、魅了的なキーワードがものスゴく詰まった素材だなと感じとても惹かれました。

なぜ「栗の渋皮」?
小布施の老舗栗菓子店では1店舗で年間40tの栗の剥き柄が出ます。それを何百万というコストをかけて処分しているという現実がありました。その剥き柄をなんとか有効活用できないか?というところから
長野県工業技術総合センターバイオ技師の水谷さんが研究を始めました。すると渋皮の部分にアンチエイジングの効果がありそうだという結果が出たということからこの産学官連携プロジェクトがスタートしました。

何ビビってるだ自分?勘違いしてる!
第一回目の研究に出席し、名簿をみるとビックリ!
企業の参加は6社だったのですが、弊社以外は全国的に名の通った長野の有名企業ばかり!「うちのような小さな会社は場違い?」と不安になってきました。名刺交換の時も、懇親会の時も「なんでこの会社がいるの?」なんて思われているんじゃないか?勝手にそんなことを思い込んで慣れない環境におどおどしていました。
 
帰りの電車の中でこのなんとも言えない気持ちを冷静に分析しました。何ビビってるんだ自分?何か戦おうとしてる?、一緒に研究するんじゃん。何か勘違いしてるな自分。そうじゃないでしょ、こんな有名企業さんと一緒に何かできるなんて機会はめったに無い、勉強させてくださいでしょ!
 
私は当初の目的から違うところへ行っていました。独自性のある商品開発がしたくて研究会に入ったのに。。。そうでした、それがしたくて入ったんでした。気持ちを変えると共に、この機会を絶対に形にしたい!改めて強く自分に言い聞かせました。
 
高度な技術はこの連携なしでは成し得なかった
それから研究会では栗に関する知識、小布施について、渋皮抽出について、渋皮の活用方向性について様々な内容を話合いました。
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研究室の方々が使う用語など理解できない場面も多々ありましたが通訳してもらいながらなんとかしがみついていきました。
自社で研究室などありませんので開発の流れや視点も大変勉強になりました。
なんと言ってもエキス抽出の高度な技術は産学官連携でなければなしえない事でした。
参加メンバーで大手飲料メーカーの素材を開発しているサンヨーフーズ様の技術があってこそでした。
この研究会に参加しなければまず一緒にお仕事をするなんてできなかったでしょう。
そうして実際に出来上がってきた渋皮エキスを手にしたときはとても興奮しました。
まだ他では手に入らない研究会メンバーだけが使用できる素材ですから。


すごいぞ!渋皮なのに甘くなった!!
ここまできたらあとの開発は各企業での仕事になります。
 
当店は製麺屋ですので発想としてはまず小麦粉と混ぜてみる、「渋皮麺」をつくってみるという事
やってみると、いや〜なかなか手ごわいな〜というのが初めの感想でした。
いわゆるミキシングという工程になるのですが、通常の麺の倍以上の時間が掛かりました。
エキスの中に渋皮の繊維質の固形が少しあるからでしょう
 
しかし初めて試食で驚きの発見が!
「甘い!」
渋皮なのでエキスを舐めると眉間にシワが寄るぐらい渋いのですが甘さを感じるというはどういう事?
それとほのかに栗の風味がする!どうして?小麦粉と合わせることで反応を起こしたのです。
これはイイ!特徴がはっきりした麺ができるぞ。
 
見た目の色あい、風味、食感、味の黄金比を探し当てるのに予想はしていましたが時間がかかりました。
何回もの試作を重ね渋皮エキスの一番いい配合比に到達できました。
 
ちょうどそのタイミングで体に優しい食品部会で研究会の報告会が行われ、そこで試食会を行いました。
何の麺で試食していただくか迷ったのですが
長野県内の食品メーカーさん、いわば食品のプロの100名の方々に試食をしていただきアンケートという形で感想をお聞きする事ができました。
 
そこでほとんどの方々から美味しい、地域性、独自性を感じるといったプラスのご意見を多くいただきこれは商品としていけると確信しました。もちろんマイナスなご意見もいただけたのでそれは改善点として活かす事ができました。

このようにして「小布施栗パスタ」を商品化する事ができました。

1+1=100を創り出したい
当店の経営理念に「地域の豊かな暮らしを創造し続け」という一行があります。
これは当店は常に地域と共に成長し続けたいという想いを記してあります。
地域の素材・原料、地域の人、農家、メーカーの方々と、今はコラボという言葉が使われますが、それぞれの強み・特徴を組み合わせて商品・サービスを創り出すことで1+1=2ではなく3にも100にもなると考えており、そうした取組みで地域も当店も共に発展・成長し続けていける環境を創りだし、皆様にワクワクし、喜んでいただける製品を開発していきます。

長文、乱文をお許しください。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

有限会社 酒井製麺
店長 酒井 博正

 

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